壇ノ浦から逃れてきた安徳天皇が隠棲されたのが野間大原である。侍従らは大原の地で土を返し作物を植え、天皇一行の朝夕の食物を供した、という記述が藤原良房の遺書に残っている。安徳天皇崩御後は、天皇のお作りになった歌をこの地に持ってきて「くるみ権現」として祭りをした。これが来見社の縁起とされる。本殿や拝殿は残っておらず、来見社址という石碑が建っている。