野間出野の獅子舞

由来及び沿革

野間出野の獅子舞の由来については、能勢の豪族能勢頼次が、関ヶ原の戦に徳川方となって参戦し、功をたてて江戸幕府の旗本となって帰国してとき、農民がその功をたたえ、 労をねぎらい、また氏神に秋の収穫を感謝し、奉納したのが起源と伝えています。

行われる時期と場所

野間出野の地元の岩崎神社の秋祭り(10月第2日曜日)に地車の曳行、獅子舞の奉納が行われます。獅子舞については、祭礼当日(日曜日)の午前9時30分頃に野間出野の岩崎神社、午前12時20分頃に野間出野集会所で奉納されます。なお、野間出野地区は旧郷社である野間神社の祭礼にも参加しており、4,5年ごとに行われる大祭に地車とともに参加し、野間神社や能勢陣屋で獅子舞を奉納しています。

衣裳について

獅子の使い手、囃し方、世話役、総て豆しぼりの手拭で鉢巻をし、上体には、サルジュバンといって、胸も袖口もボタン留めのシャツのようなものを着ます。サルジュバンも、股引きも総て黒染です。腰は黒の兵児帯(へこおび)でしめ、腰の脇で結び、その余った部分を前で縄ねりにして、その端を一方の脇にはさみます。なお、赤色に編んだ真田紐を右肩から左脇下にかけ、その先端にはお守袋を付けていますが、袋の中には、野間神社の守護札を入れています。それは、地車を曳くとき、負傷をしないためのお守りです。

演目について

太鼓の「ケン、コン、トン」の強弱、遅速のリズムに乗った鳴り物とはやし方は「ヨラ舞え、ソラ舞え、ドンと舞え」の掛け声に応じて獅子は舞います。はじめは眠っているところから、目が覚めると周囲の様子をうかがい飛び交う蝿を払い、徐々に生気がよみがえると、ついに怒り狂ったように舞います。獅子頭役は両手で頭を持ち、上半身を使って勇壮に舞い、後役は肩車に頭役を持ち上げて場所を替え、ときには直立して歩く場面もあります。頭役と後役の息が合わないと怪我の恐れがあるくらい勇壮な舞です。

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