• 能勢の里山に、未来につながるフロンティアを。

  • Text : Kaori Ishida / Photograph : Yuta Takamatsu

大ケヤキのすぐ近くで、お弁当とお総菜のテイクアウトやデリバリーを営んでいた大谷政弘さん、愛さんご夫妻。新たな暮らしと仕事の場を求めてようやく見つけた家をリノベーションし、2021年10月に『TOGO BOOKS nomadik~本と食のあり合う場所』をオープンさせました。本と食があり合い、ゆっくり時が流れていく心地のいいこの場所に、どんな思いが込められているのか、お二人にお聞きしました。

TOGO BOOKS nomadik

この家は、“与えられた”のだと思う

野間の大ケヤキから田んぼの間を抜けてしばらく歩くと、瓦屋根に真新しい土壁がモダンな日本家屋が見えてきます。大きなガラス窓から光が差し込む店内では本棚に新旧の本がにぎやかに並び、座り心地のよさそうな椅子やソファがあちらこちらに。本が好きな人や読書家はもちろん、そうでない人も、何時間もここでゆったり過ごしたくなる、そんな心地のいい時間が流れています。 新旧の本がにぎやかに並ぶ本棚

自然豊かな環境で子育てがしたいと、愛さんの故郷である能勢町へ移り住んだのは7年前のことでした。「いつか、本と食の両方がある場をつくりたい」という夢を胸に、お二人はお弁当とお惣菜のテイクアウト・デリバリーのお店『nomadik』をスタート。どういう家や立地がいいのだろうと能勢に暮らしながら探すこと4年、ようやく築35年のこの家に巡り会います。

隣には公民館があり、お寺の参道でもあり、地元の人たちからは“稲地銀座”と呼ばれる地域の中心のような場所。「日当たりもいいし、しっかり立っていそうだし、お庭も広い。中に入れてもらって、いい状態で住んでこられたおうちなんやな、とすぐにわかりました」と愛さん。自分たちに話が舞い込んできたというところで、この家を“与えられた”のだと感じたそうです。

大谷愛さん
愛さんは能勢町出身。自然豊かな環境で子育てをするため故郷に戻ってきた。

「本と食とあり合う場所」をつくりたい

『TOGO BOOKS nomadik』のオープンは水曜日から土曜日。豆にこだわったコーヒーや、地元の野菜や果物を使ったフードやスイーツが楽しめるほか、チャージ制で本を読むことができます。店内には、政弘さんの選書による書籍の販売コーナーと、蔵書や譲ってもらったものからセレクトした本が並ぶ本棚が。気に入った本があれば購入して読んでもいいし、蔵書から気になる本を取り出して読んでもいい。家から読みかけの本を持ってきて読む方もいるそうです。

「手にとってもらいやすい短編とかアンソロジーとか、短い時間でも読めそうなものを意識して選んでいます。本当はもっとマニアックなものが好きなんですけど」と笑う政弘さん。ちなみに2階に並ぶ歴史小説は、愛さんのお父様が通勤時間に読みふけった本なのだそう。店主からそんなストーリーが聞けるのも、この場を訪れる人たちの楽しみのひとつ。「本と出会う、刺激を受ける、着想を得る、リフレッシュする、そんな場でありたい。本は出会いだと思っているので、その機会をこの場所でたくさん提供したいですね」。

幼少期から本に親しんできたという高松出身の政弘さん。自宅を開放して寺子屋を開いた曾祖父をルーツに持つ。

ところで、お店の名前にある「本と食のあり合う場所」には、どういう思いが込められているのでしょうか。「僕にとって本と食、どちらかでも足りない、ということです」。幼少期から本に親しんできた政弘さんは本が友達で、本そのもの、本のある空間に幾度となく救われたといいます。本のページをめくって、たまたま巡り会ったページや写真に心動かされることがありますが、食もまた同じ。「ここに来てもらって、おいしいなと感覚にすとんと落ちてもらえればそれでいい」と愛さん。

この情報があふれる時代に、本を手に取り、ページをめくり、時間を過ごすことと、実際に五感を刺激する食べることは互いに近い関係にあると政弘さんはいいます。「食は見えるものと見えないものを愛でたり、観察したり、賞味したりします。本も同じで、本としての物体、手ざわりを感じたり、そこにはないストーリーや情報を自分の身をもって味わったりできる。そこが本と食のリンクするところではないでしょうか」。

本棚とキッチン
新刊本が平積みされた棚の奥にアイランドキッチン。ここにしかない「本と食があり合う場所」が能勢に生まれた。

能勢で、この場所で、お店を開く理由

当初は、里山で本を扱うということに不安があった政弘さん。「僕は里山を未来のフロンティアだと思っていて、そこで本と食を扱うというのは、ひとつの実験なんです。家族を巻き込んだ冒険といってもいい」。里山自体が消滅するかもしれないという、今までにない問題に直面しているなかで、「里山で本と食をやっている」ことを後代に残したい、何をしようとしたのか子孫に伝えたいという思いがあるといいます。

ルーツをたどると、江戸時代、政弘さんの曾祖父は高松で自宅を開放し寺子屋を開き、今も石碑が残っているのだそうです。「子どもの頃は素晴らしい祖先がいたんだと眺めていたんですが、この年齢になって、なんでそんなことをしたのかなと。今を生きる自分はこれからの時代に何を発信していくべきなのか、ここで考えたり発信したりすることがクリエイティブなんじゃないかと思うようになりました」。

静かなトーンで話す政弘さんの隣で、「自分たちが工夫して働き方を変えていけばいい」と愛さんはいいます。「何があっても、臨機応変に変えていける自信が私たちにはあるので。光が差す方向が違うのなら、私たちが向きを変えればいい。それが一番自然だと思うんです」。

能勢に移り住む前は西宮に居を構えていた大谷さんご夫妻。「都会での暮らしは私にとって必要な刺激が少なくて、本当の自分ではないような、いつも誰かに誘導されているような感じがしていました」と愛さん。「今は畑仕事に追われていますが、誰かじゃなくて自然だからいい(笑)。自分を見失わないために私はこの能勢にいる。そんな感覚があります」。

忙しい都会の人たちに、五感を開いてもらいたい

日々忙しくしている人や都会でさまよっているような人たちに、五感を開いて心地いいという感覚を感じてほしくて、この場所を用意したという愛さん。政弘さんが2階を『アジール(隠れ家)』と呼んでいるのも、困っている人をかくまう、旅人に上がってもらう、というような、外に未来に開かれている場所という感覚があるからだそうです。

アジール
二階にある「アジール」席からの眺め

本が好きなら、自分の好きな本を納得するまで集めて、おいしいものを食べる、という人生もある。けれども、自分自身で味わったり所有したりすることよりも、外に開かれた場所をつくることに意味を感じていると話す政弘さん。「そこで、ここを『本と食のあり合う場所』にしたいと思ったんです。どう感じるかは、来てもらって自由に感じてもらえたらそれでいい」。時間ごとのチャージ制という仕組みにしているのも、そのひとつ。ここを求めて来てくれる人には、時間を気にせずゆっくりしていってもらいたいという思いが込められています。

ちなみに、日曜日は子ども料理教室や季節のイベントを開催。「ふだんのお店とはまた違う楽しみを見つけてもらって、シェアしてもらえるような場所にしたいですね。ここから、コミュニティの輪を広げていけたらいいなと思います」と愛さん。より五感を刺激する場所にしたい、よりアカデミックな対話ができる場所にしたいと、計画はどんどんふくらんでいきます。

働くことも、暮らすことも、どちらも大事。

「働く」と「暮らす」のバランスを自分たちで決めることを大切にしているお二人。「以前のnomadik では、忙しくて仕事に飲み込まれている感覚がありました。けれども、そこで喜んでくださるお客さまがいらっしゃったことが、私たちがここでチャレンジしていける礎になっています」。

能勢の豊かな里山で、“実験”とはいいながら自分たちのやりたいことを一つずつ実現させている政弘さんと愛さん。「自分たちがいいな、と思っていることをただやっているだけ」と笑いますが、その生き方やスタイルは多くの共感を呼び、クラウドファンディングでは目標達成するとともに、たくさんの人のあたたかい応援がありました。


「私たちの暮らし方が、田舎で暮らすイメージにつながったり、若い人に会社に勤めるだけではない、好きな場所で自分たちがやりたいことをする流れもあると知るきっかけになってほしい。そして、私たちのような“小商い”がさかんになって、もっと面白い世の中になったらいいなと思います」。もし、今の状況に疲れているのなら、自分たちの手で何かを生み出し、今とは違う社会を見つけていこう、そこに生きる喜びが一緒についてくるはず。お二人のお話から、包み込むようなやさしいまなざしが伝わってきます。

地元在住の大工・沖本雅章さんによる銘木「吉野杉」をふんだんに使った内装も見どころの一つ。

自分だけの特別な場所、疲れたら立ち寄れる場所に

「いま世の中には息苦しさのなかで生きている人がたくさんいて、そういう人たちに何ができるんだろうとスタッフと話したことがあったんです。そのとき、『ここがあるとわかって足を運べる人がいる、こういう場所もあるんだとキャッチして帰れる、それが、ここの意義なんじゃないですか』と言ってくれて。ああ、そうだなぁと思って」。

でも、そういう場所が社会に組み込まれるまでには時間がかかるんだろうな、とつぶやく愛さんの隣で、時間を掛けてもいいんじゃない?と政弘さん。「急仕込みだと傷みも早い。じっくりかけて熟成させていくことで、この場所をより長く続けることができるかなと思います」。


ゆったりと椅子に身を沈める、縁側でひなたぼっこをする、おいしいお茶とお菓子を味わう、心ゆくまで本の世界を楽しむ・・・・・・どんなふうに過ごすか、どう感じるかは、ここを訪れる一人ひとりにゆだねられる。そんな、おおらかさが、この場所の居心地の良さに通じているのかなと感じました。そして、それを受けとめてくれるゆとりや遊びが、この里山にはある。身体や五感が未来につながっていく“フロンティア”が、政弘さんと愛さんの手によって開かれていきます。

店舗情報

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