• 400年の時を刻む 古民家を再生し、より開かれた場へ。

  • Text : Kaori Ishida / Photograph : Yuta Takamatsu

樹齢1300年と言われる野間の大ケヤキ。そのすぐそばに、400年前に移築された野間家の分家とされる一軒の古民家があります。この家に出会い、手を入れ、地域に広く開いたのは、坂井信夫さん、のり子さんご夫妻。『懐かしさの杜』と名付け、ゆっくり、じっくり再生と向き合ってきたお二人に、お話を伺いました。

あと500年は持つ。なんとしても残したい。

野間の大ケヤキから西へおよそ100メートル。能勢東郷地区の中心ともいえるこの場所に、『懐かしさの杜』はあります。新しい屋根が葺かれ、新しい命を吹き込まれた家は、どこか初々しいたたずまい。一歩足を踏み入れると、大きな梁が堂々たる存在感を見せ、広々とした土間や座敷では古い家具や季節のしつらいが心をほっと和ませてくれます。

川西市滝鼓で建築事務所を営む坂井さんご夫妻がこの古民家に巡り会ったのは、2011年9月のこと。能勢で古民家再生を依頼され、その施主さんから紹介されたのがきっかけでした。特に手入れがされておらず、傷みも進んでいましたが、「なんか惹かれるものがあったんやなぁ。火事さえ起こさなければ、さらに500年は住めると思ったんです」と当時を振り返る坂井さん。
聞けば、関ヶ原の合戦後、野間一族の分家として代々住み継がれてきたといいます。400年生き残ってきたこの家をなんとかして残したい。その一心で、坂井さんはこの古民家を手に入れることを決意します。

再生前の古民家
2015年、再生前の古民家。手入れがされておらず、傷みも進んでいた。(引用元:natsumori.jp)
内部の様子
古民家内部の様子。プロの建築家の眼には「惹かれるもの」が映ったという

「買うと聞いたときはびっくりしたけど、今思えばこの家が生き延びたくて、私たちにしがみついたんちゃうかなあ」と、のり子さん。それから5年間をかけて資金を貯め、2015年に取得。古民家を再生するプロジェクトとして社員のアイデアで『懐かしさの杜』と命名し、2016年から本格的に再生をスタートさせました。

同じやるなら、みんなで再生しよう。

再生するにあたり、坂井さんは元々の持ち主だった下辻家を訪ねます。
「昔の家の写真を見せてもらって、それに近いかたちで再生したいと思ってね」。この家は昔から村の中心だったそうで、子どもの頃よく遊びにきていたと年配の方が懐かしそうに訪ねてきたり、不思議と地元の人たちが遊びに来てくれるそうです。
「長年町の人たちに親しまれてきた家が、再び地域に開かれたというのは大きな意味がありますよね。場の力を感じます。大ケヤキのパワーかな」。

田植え
田植えや稲刈りなど「人と人とのふれあい」を大切にしながら、ゆっくりと手を入れていった。

以前から各地で古民家の再生を手がけてきた坂井さん。同じやるなら、地域興しとしてみんなでやろう、たくさんの人たちに古民家再生を体験してもって、心の癒しの場所にしてもらおうと考えます。
家だけでなく道や石垣、池を整備し、田んぼや畑を耕してお米や野菜を作り、収穫した餅米で餅つき大会、しめ縄作り、時にはイベントを開催するなど、人と人とのふれあいを大切にしながら、時間をかけてゆっくりゆっくり、手を入れていきました。「一人ではなにもできないんでね。みんなで渡れば怖くない(笑)」と楽しそうに笑う坂井さん。

ゆっくり解体
(引用元:natsumori.jp)

最初は社員やお客さんが、しばらくするとホームページを見たという人たちが手伝いにきてくれるように。箕面や川西、亀岡など能勢周辺から、京都や大阪、神戸からと、さまざまな地域の人がボランティアとして参加。「すぐに工事していたら、このつながりは生まれなかった。7年かけたから、いろんな人が手伝ってくれて、つながることができたと思うよ」とのり子さんはいいます。

坂井信夫さん
紀州の出身である坂井信夫さん。子どもの頃から何かと「家」に縁が深かったという。

野間の地に約800人の人が集まった『懐かしさの杜発見』

2017年には、築400年の古民家をたくさんの人に知ってもらおうと、骨組みのままの古民家を舞台に『懐かしさの杜発見』というイベントを開催。各地から2日間で約800人が集まり、「こんなに人が集まるなんて」と、のり子さんもびっくり。

坂井のり子さん
のり子さんは能登の出身。子どもの頃に自然の中で遊んだ感性が今も「設らい」に活かされている
イベント『懐かしさの杜発見』
2017年のイベント『懐かしさの杜発見』。(引用元:natsumori.jp)

このイベントがきっかけとなり、2018年に地域の伝統や歴史を残しながら地元の活性化を目指す『能勢なつかしさ推進協議会』が発足しました。「地元の人には見えないこともあるんですよね。僕らのように外から来た者だから見えること、できることがありますから」。
ここ能勢には、不思議な魅力があると口をそろえていうお二人。「パッと見てなんか訴えてくる家と、そうではない家とがあるんです。地域も同じで、ここは何か感じるものがある。最終的に第六感を大事にしています」。

「なつかしさ」を生みだす坂井夫妻のバックボーン

坂井さんは紀州の出身。宮大工の家系で、実家は家屋や神社仏閣を移動させる「曳家」を開業。幼い頃から父の仕事を手伝っていたこともあり、坂井さんは建築の世界へ。「子どもの頃から棟上げを見たり、壁土練りを手伝ったり、高校生になると左官屋のバイトをしたり・・・神社仏閣や伝統のある家をさわることが圧倒的に多かったですね」。その後、川西で建築事務所を開業し、新しい家を建てていく中で、いつしか古い家の良さと新しい家の良さ、どちらも生かしたいと思うようになり、国産の無垢材でオンリーワンのこだわりのある家を建てる事業を始めました。

取得より7年を経て生まれ変わった古民家(写真:岡部行宣)

「天職だと思いますよ。どこに行っても家を見に行くんです。旅行でもそう(笑)。“建築馬鹿”ちゃうかな」と笑うのり子さんもまた、能登の大工の家の生まれ。「鉋(かんな)や木くずで遊んだ記憶があります。主人も私も職人家系。育った環境って大きいよね」。

ちなみに、古民家の床の間や飾り棚、庭先のしつらいは、のり子さんの手によるもの。「子どもの頃、周りに自然しかなかったので、お花は大好きです。50代で出会った80代のお花の先生に『坂井さん、好きに生けていいのよ』と言われて、本当にうれしくて。それから、お花がますます好きになりました」。目についたもの、ここにあるものを生かしてあげたいという気持ちを、いつも大切にしているといいます。

500年持たせることが一番。そのために手間を惜しまない。

築400年の家を、坂井さんはどのように再生していったのでしょう。「あと500年持たせるということが一番でしたから、500年持つ構造にするだけで最初の2年ほどかかりました」。木が腐っていたため、大きな梁は残し、柱などはほとんど入れ替えることに。

「使っていたのは能勢周辺の木で、クリとカツラ、あとマツ。とくにクリは堅くて長持ちするので、適材適所で入れ替えました。断熱材を入れて、窓ガラスも複層にするなど気密性もきっちりしたから、寒い冬も薪ストーブだけで住めるようにしました」。

家のシンボルともいえる茅葺きの大屋根は、メンテナンスを考えてブリキで覆うことに。いつか、茅を見せたいという思いがあり、茅はそのまま残すため、一旦茅をはずして断熱材を入れるなど、随所に手間と時間をかけています。

ところで、この家は、今後どのように使われていくのでしょうか。「まだ、何に使うかは100%決まってないんです。流れに任せるというか・・・」と言葉をにごす坂井さん。その隣で、「この村のなんかになったらいいな。集会所とかね。最終的に、私たちの力が及ばないところでそうなっていくんちゃう?」と、のり子さんが朗らかに笑います。

出会いとご縁から、つながりが生まれる。

2021年の6月、古民家の一角にレストランmutsumiがオープンしました。お店を経営する武田さん夫妻も知人の紹介で知り合い、古民家の再生に1年間、関わってくれたといいます。「電車で大阪市内から毎月通ってくれて、壁を塗ったりしてくれてね。ほんとに、出会いとご縁が大事よね」と、のり子さん。

「餅米をつくろう、そしたら餅つきできるやん」という坂井さんの思いつきで始まったお米づくりも、さまざまな出会いがあったといいます。「お米をどうやって作るかもわからないのに!と思ったけど、みんなが集まったらできるもんなのね」と、のり子さん。
田植え、稲刈り、天日干し、そして古い道具を使っての脱穀。そのすべてが、今の人たちには新鮮で、一つひとつが一大イベントに。米づくりが人のつながりを生み、さらに交流が深まっていく。それは、かつて、能勢のあちこちで、あたりまえに見られた光景。
「場の力はあっても、それを生かす人がいないと人は集まってこない。わずかな田んぼやけど、楽しいことにして、開いたら、いろんな人がきてくれて、うれしいよね」。お二人のあたたかな人柄が、あたたかな人のつながりを生みだしています。

茅葺きの家のかっこよさは、真似できない。

「茅葺きの家ってかっこいいんですよ。あのプロポーションは真似できないし、勝てない。特にこの家は、屋根や軒先から色気のようなものを感じます」と熱く語る坂井さん。
この家への惚れ込みようが伝わってきます。家に遊びを求めるけど、遊びの余裕を持っているお客さんが今は少ないと坂井さんはいいます。「それが、古民家には元々あるんですよね。今の家は合理的すぎます」。

熱く語る坂井さん
この家の「屋根や軒先から色気を感じる」という坂井さん

建築の歴史を振り返ると、戦後、建築基準法が制定されたことにより、昔の伝統工法が排除されてしまったといいます。それが、実験や研究が進み、最近ようやく見直されてきました。「東京のスカイツリーは一本の柱を持つ“親柱工法”で、日本独自の木造建築物である五重塔の構造力学を使って作られています。そんなふうに、これからは徐々に昔に戻さなあかんことがいっぱいあると思いますね」。

(一社)古民家再生協会 兵庫の代表も務める坂井さん。今やらなければ、それも地域単位でやっていかないと残っていかない。いい古家は一軒でも残しておきたい、といいます。「一軒一軒やるしかない。つぶれたら、もう二度と建てられません。懐かしいものは放っておいたら、どんどんなくなっていく。残していくには、覚悟や気迫が必要です」。

『懐かしさの杜』はまだ完成ではありません。ここで、どんな懐かしい風景が描かれるのか、そして、どんな人のつながりが生まれていくのか、坂井さんご夫妻の「これから」から目が離せません。

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