• 「旅」の末に能勢へ帰ってきた夫妻が営む民泊 アトリエトナリ

  • Text : Yudai Ito / Photograph : Yukinobu Okabe

能勢町で生まれ育った小早川勝平さん・辻本真美さん夫妻が営む民宿「ATELIER TONARI アトリエ トナリ」が、2020年春、満を持してオープンしました。ものづくりを生業とする2人がつくる民泊は、自分たちが心地よく暮らすためのモノが散りばめられた素敵な空間になっています。でも、じつはここ、「ほぼ、お化け屋敷だった」建物だそう。真美さんがデザインをして、勝平さんがリノベーションした夫妻の大労作なのです。さっそく、宿を案内してもらいました。

アトリエトナリ

アトリエトナリにお邪魔する

アトリエトナリが完成したことを勝平さんが知り合いに知らせると、「え!まだやってたの!?」と驚かれることもあるそうです。なんせ、言い出したのは6年前。
「1年目に『やるぞ!」と言った時は、みんな『スゴイね』『頑張れ」って応援してくれたんです。
それが、2年目には『ほんまかなー』って雰囲気になって、4年目からは『まだ言ってるよ』に変わって。なんか、やるやる詐欺みたいな。でもね、本当にやってたんですよ 笑」
勝平さんの言葉を借りるなら、「コツコツと、自分のスピードで」。
6年かけて古民家を直したアトリエトナリは、「セルフリノベーションでここまでできるとは……」とお客さんに関心されるほどの出来栄え。

蔵を改装したバーと、小早川夫妻が住む母屋のあいだにある小さな路地を通ると、アトリエトナリがあります。 玄関を入ってすぐ右手にあるのが、能勢の昔の家には必ずある、おくどさん(くど竃)。
宿泊するお客さんの要望があれば、薪で火を起こし、ご飯を炊いたり、煮炊きするなど自由に使えるようです。
さらにその奥には、いっぷう変わった五右衛門風呂がありました。無骨なイメージになりがちな五右衛門風呂ですが、白とオリーブ色のタイルで装飾されているおかげでしょうか、可愛らしい雰囲気すらあります。

能勢の昔の家には必ずあった、五右衛門風呂と「おくどさん」。勝平さんが数年かけて再生させた。
「五右衛門風呂の焚き口の近くには、こんなふうに小窓もつけてみたんですよ。『湯加減どうですかー?』ってやれば楽しいかなって。どうですかね。でも、意外とみなさんやらないみたいなんですよね」と、勝平さん。
中庭からやわらかい光が射すリビングは、お客さんが朝食を食べたり、くつろいだりするスペースです。ここには、イラストレーターである真美さんが気に入った食器や照明などの家具、民藝品やディスプレーなどが心地よく配置されています。
イラストレーターである真美さんの作品や選りすぐりの民藝品で飾られた客室。
「僕は、何か作ってって言われると作れるんですけど、こういうデザインとかはできないんですよね」と勝平さんが頭をぽりぽり。
装飾だけではなく、大きな鏡など「自分がゲストハウスに泊まった時に、あったら嬉しいもの」を真美さんが実用目線で揃えました。小さな炊事場では、簡単な料理もできます。

蔵を改装してカウンターを設けた「蔵Bar」。宿泊客はここで夜の時間をゆったりと過ごすこともできる。
リビングの階段を上がると、秘密基地のような空間に、ベッドルームがあります。なんと、ここでは、寝転びながら天井にプロジェクターで映画や映像を投影できるようになっています。 こんなふうに、アトリエトナリは、夫妻が自分たちのしたい暮らしのこだわりが詰まっている民泊なのです(※)。
※ここでは到底紹介しきれませんが、勝平さんの「おこだわり」はまだまだ尽きません。facebookやinstagramで見ることができます。宿泊の際は、ぜひ直接聞いてみてください。

LINK: アトリエトナリInstagram

ヒトトナリを聞く 勝平さんの場合

自分たちのしたい暮らしーー。夫妻2人のそれは、今のような「自分で薪を割って、薪ストーブを焚いて、暖をとる」ようなものではなかったようです。 「とにかく能勢から出たかったんですよね。なんというか、おもしろくなくて、ダサいと思ってました」と勝平さんが振り返ります。生まれも育ちも能勢町という夫妻ですが、2人とも、高校進学をきっかけに、それぞれ能勢の外に出ていきます。

高校卒業後の勝平さんは、京都にある専門学校に進学。卒業後は3年間ほど車屋さんで整備士として働いていました。整備士になったのは、バイクが好きだったことと、近所のおっちゃんに「整備士になったら、どこでも仕事ができる」と言われたことだそうですが、そのアドバイスは、あながち間違いではありませんでした。
かつてより憧れていた初めての海外旅行をし、楽しみを覚えてから2年後、25歳の時には、青年海外協力隊としてフィジーに着任。車の整備士を育てる学校で、先生として2年間働くことになったのです。

フィジーで自動車整備士学校の先生をしたり、アフリカで地雷処理の重機を組み立てたり、とユニークな海外経験を持つ勝平さん。
能勢から離れるどころか海まで渡ってしまった勝平さん。海外で生活したいという夢をかなえたくなり、機械いじりのスキルを活かして、地雷処理用の重機を扱う会社に入社。なんと、未だ紛争が解決していないアフリカ南部のモザンビーク共和国やアンゴラ共和国で、日本から運ばれた重機を組み立てる仕事をすることになります。
そんな勝平さんの海外生活はやがて終わります。アフリカから帰国後、「次は、中東な」との辞令を「それは、さすがに…」と断り、2014年に能勢に舞い戻るのでした。

ヒトトナリを聞く 真美さんの場合

いっぽう、勝平さんが生まれ育った東能勢の倉垣から峠を挟んだ、西能勢の来栖で生まれ育った真美さん。真美さんも真美さんで「人が多いところに行きたい」「視野を広くしたい」「刺激がほしい」と、池田市の高校に進学し、能勢を離れました。

ちなみに、勝平さんとは学年が5年も離れていること、また、校区が違うとほとんど交流がないこともあって、当時はお互いに面識はなかったそうです。
高校卒業後はデザインの専門学校に進学し、絵本をつくるコースに進学。絵本のほかにも、版画、縫い物、キャンドル、などなど、やりたいことがたくさんあった真美さんは、この時期には既に「15分刻みのスケジュール」を自らに課し、やがて来る就職に備えて「忙しいの練習」をしていたそうです。

専門学校の卒業制作をみてくれた有名絵本作家に「線がいい」と褒められ、個展も開けるようになり、作家としてバリバリと仕事をこなす毎日が始まりました。便利な都会に住んで、忙しく働く生活は真美さんにとって、「好きな生活」でした。それでも、どこかで「疲れ」のようなものが、少しずつ溜まっていたみたいです。

都会でイラストレーターとしてバリバリ働いていた真美さんも能勢町出身。
「実家に帰った時、町に出てはみたけど、田舎っていいもんだなぁと思ったんですよね」。 能勢町でデザイン業を営む立花之輝さんの紹介もあって、町内での仕事も増え、それらを通じて知り合った勝平さんと2017年に結婚。能勢町に拠点をうつすことになりました。

トナリの山を歩く

巡り巡って、再び能勢町で里山暮らしをはじめた2人。 今や、アトリエトナリの生活に欠かせない薪は、建物の裏手にある山のスギなどを伐採し、割って、乾燥させて、薪にしています(宿泊のお客さんも、希望があれば、薪割り体験もできます)。
ワイヤーメッシュを利用した手製の扉の先に広がる「トナリの山」
「最初は、田舎の生活ができるか心配でした。でも、だんだんと、都会で家賃や電気代のために働くよりも、暖をとるために薪を割るっていう働き方が、しっくりくるようになったんです」と真美さん。 一方の勝平さんは、能勢に帰ってくるなり栗のことに熱中。再び海を越え、フランスのセヴェンヌの農家のもとで働いたり、能勢の人たちと一緒に、栗産地のコロブリエールへ視察に行ったりし、能勢栗の新しい展開をもたらしました。 栗山の整備も、アトリエトナリと同じように、「自分のスピードで、コツコツと」。時間をみつけては伐採をしたり、ユンボを借りて道をつけたりして、どんどんといい山になってきています。 「夫は、ずーっと、何かやってるんですよ。そう、ずーっと」と真美さんが、山からの風景をみながら呟きます。「世の中に何があっても、自然はずっと変わらない」ことに真美さんがいつか励まされたように、2人の揺るがぬ暮らしを体験すれば、宿泊のお客さんも観光体験以上のものを得られるのかもしれません。

勝平さんが管理する銀寄栗。栗の本場フランスに視察に行った経験を活かしている。

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