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  • 栗農家・西田彦次さんの恩送り 「能勢っ子」に知ってほしい銀寄のこと

  • Text : Yudai Ito / Photograph : Yukinobu Okabe

能勢の秋の味覚といえば「銀寄」栗。今回は、銀寄発祥の地である能勢で栗園を営む西田彦次(にしだ・ひこつぐ)さんのお話。「銀寄」という名前の由来や見分け方から、栗栽培に欠かせない「剪定」や「接ぎ木」のノウハウまで、熱く語っていただきました。

栗の王様と言われる能勢の「銀寄」。早生栗に続き、例年10月上旬から出荷が始まる大粒の栗。能勢町では栗の出荷シーズンに毎年「栗まつり」が開催され、銀寄を求めるお客さんで賑わう。

江戸時代に生まれた「銀寄」

江戸時代中期の宝暦3年(1753年)。歌垣村倉垣の人が広島から持ち帰った栗をまいたところ、そのうちの1本がとても良い実をつけたので、この樹を近隣に増殖させました。天明から寛政にわたる大飢饉の時にこの栗を売り歩いたら高値で飛ぶように売れ、多くの「銀札」を集めたことから、その品種は「銀を寄せる」という意味で「銀寄」と呼ばれるようになったといわれています。

明治になると、池田市を通じて日本中に出荷販売されるようになりました。「能勢栗」の名は全国に知られ、町内での栗の栽培はますます盛んになり、現在にいたります。歌垣には銀寄の原木が平成10年頃まで残っていましたが、枯れてしまい、現在はその原木から「接ぎ木」したものが母樹として保護されています。

そんな能勢の歴史に大きく関わる銀寄のことを、地黄で約30aの栗園(約130本)を営む西田彦次さんに聞きたくなり、電話してみると……。

「ちょうどええ。今日の10時から小学校で栗の授業するさかい、見学しに来えへんか?」。

現在9時30分。急いで、ささゆり学園に向かいました。

ささゆり学園で小学生に能勢栗の授業をする栗農家・西田彦次さん。(筆者撮影)

能勢っ子たるもの「銀寄」を見分けられなアカン

「栗の栽培について」という授業を毎年されている西田さん。それはそれは慣れたもの。「栗が大好きな西田君です」という自己紹介で小学生の心を掴み、授業が始まりました。

能勢の有名な栗の名前はなんや? 知ってるかー?

銀寄(ぎんよせ)!

ほんなら、銀寄はなんで有名なんや?

デカイからー!

確かにデカイ(笑)。それもあるけどな、おっちゃんが生まれる前のことやからようわからんけど、能勢の人が広島のほうから実(タネ)を持ってきてん。その中の1本からええ栗ができた。その当時、能勢の人は生活が苦しかったから、その栗を販売して稼いだ。昔のおカネいうたら銀や。「銀を持ってくる栗」、だから銀寄。わかった? わかった人?

はーい!

栗の花
西田さん曰く「猫じゃらし」のような栗の花。ほとんどが雄花で、雄花のもとのほうに目立たない雌花がある。(筆者撮影)

西田君、みんなに覚えてほしいことが1つだけあんねん。今日は、これをみんなができるようになるのが目標。それはな、銀寄と他の栗を見分けられるようになってほしいねん。 ちなみにこの銀寄、いっちゃん大きい3Lサイズやったら1粒160円で売れる。

えー!?すげぇー!!

他の栗やったらもっと安い。つまり、銀寄が見分けられたら、落ちてる栗を拾うだけで160円。
それだけじゃなしに、落ちてる栗を見て、「これ銀寄ですね」と言えたら「さすが能勢出身の子やなぁ」と感心される。 他の栗を「銀寄や」言うて嘘ついて売ってるのを見かけても、「これ、ちゃいますよ」とも言えるな。まあ、そんな悪いことする人はおらんやろけども(笑)。ほんじゃあ、見分け方を教えるからよう聞いといてな。

左が普通の栗。右が銀寄。見分け方は、銀寄のほうが、お尻の部分(座)が凹むようなアーチを描く。

そんなこんなで、子どもたちは「銀寄」の見分け方を覚え、大盛り上がりのうちに授業は終了。ところが、西田さん、限られた授業時間では伝えきれないことが、たくさんあったようです。

そこで日を改めて、「おとな版栗の授業」を開いてもらうことになりました。

西田さんから「おとな版栗の授業」を受けている大人達。
西田さんは能勢高校の農業科出身。能勢高校の恩師から接ぎ木や、苗木づくりの技術を教わった。

恩師から教わった技術を恩送りで次世代に

当日。栗についての大量の資料を抱えて登場する西田さん。気合がすごい。

「僕が小学校1年生の頃、能勢高校の先輩に銀寄の苗木を1本もろた。それを植えてからやな、栗にどっぷりとなったのは」。中学校を卒業した西田さんは、能勢高校の農業科に進学。学校では栗栽培のイロハや考え方を教わり、祖母の栗園でも習ってきたことを試しました。「自分で剪定もしてみたけど、婆さんに『実がならへん』て叱られて、スマンスマン、言うて…。でも、接ぎ木のほうはうまくいって、高校の頃から家の苗木つくりを任されるようになった」。そんな西田さん、高校時代の恩師である「西山先生」に、栗の技術そのものだけでなく、「なぜそうするのか」も教わったそうです。

「つまり、僕が能勢の子たちに授業をするのは、教えてもろた恩を返すためでもある。順送りの恩返し、『恩送り』、ちゅうことやな」。

恩送りとは、誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、また別の人に送ることです。

さっそく、栗園に向かいました。

西田さんから栗栽培の技術的な解説を受けている筆者。(インタビュー/伊藤雄大)

西田流剪定術

まずは、剪定のお話。

「剪定には色んなやり方と考え方があって、これはあくまで西田流な」。西田さんにとって、栗を剪定する(枝を切る)目的は大きく分けると4つ。放っておくと10m以上になる栗の木を、管理がしやすいように3mほどに小さく保つこと(低木化)。枝を減らし、葉っぱを減らすことで風通しや日当たりをよくして病害虫の被害を抑制すること(病害虫抑制)、枝を透かすことで風を受け流し、台風の被害を抑えること(暴風対策)、また、結実する数を減らし、木にかかる負担を緩くし、なり疲れを減らすこと(隔年結果防止)だそうです。

「本来は、落葉して木が冬眠する12月から3月のあいだにするもんやから、剪定するにはまだ早い。やけど、今回は僕が言うことをお伝えするために、身を切る思いで、枝を切ってくわな」。樹齢5年ほどの若木を例に剪定の仕方を教えてもらいました。

枝の勢いや、枝が伸びる方向を見て、来年の姿を想像しながら、剪定していきます。伸ばしたい枝はそのままにする一方で、枝同士が絡まないように邪魔な枝を間引きし、勢いのよすぎる枝には途中でハサミを入れ、有り余る力を牽制します。

左が剪定前、右が剪定後。将来的に左右へと広がっていくように枝を配する。本来、剪定は落葉後にするものだが、今回は特別に、落葉する前に剪定を披露してもらった。
手で示している部分が花や実が着く花芽で、残りが葉芽(枝のもと)と西田さんはみている。花芽は先端のほうにゆくにしたがって小さくなるので、大きい花芽のみを残すように切り返し、大きな実をならせるのが西田流。
大きな切り口には殺菌・保護剤のトップジンMペーストを塗り、雑菌や雨水による枯れ込みを防ぐ。

接ぎ木ができる能勢っ子を増やしたい

栗の苗木づくりに欠かせないのが「接(つ)ぎ木」という技術です。

銀寄の木を殖やすには、単純にその実(栗)を土に埋めればいいわけではないそうです。銀寄の実から芽生えるのは「子ども」であって、銀寄そのものではありません。そこで、「接ぎ木」という紀元前から行われているクローン技術によって、銀寄と全く同じ性質を持った「双子」をつくるわけです。

接ぎ木は、栗の実から芽生えた子どもの木(台木)に、大人の銀寄の木の枝(穂木)をくっつけること。実際の作業としては、台木の幹にナイフで切れ込みを入れて、切り口に穂木を差し込みテープなどで、ずれないように固定。テープでピタッと留めることで、雨水が入ったり、穂木が乾燥したりするのも防止できます。しばらくすると傷口が塞がって癒着し、台木から得た栄養をもとに穂木がぐんぐん伸びて、銀寄の木となります。

接ぎ木(切り接ぎ)のやり方。参考:町田英夫編『つぎ木のすべて』(誠文堂新光社)
緑のテープの部分から下が台木で、上が穂木。うまくくっつくと、穂木が太り、銀寄として生長していく。

言葉で手順を書くのは簡単ですが、植物の性質をうまく利用しないと容易にはくっつきません。「僕の場合は、冬にとった穂木を冷蔵庫で保存して、台木が活動し始める春に接ぐ。台木は根っこから水を上げ始めるんやけど、そこに、冬眠中で喉がカラカラ、『はよ、ビール飲みたい』って気分の穂木を接ぐと、ようくっつく」。

かつては、能勢の栗農家の誰もが苗を自給していたそうですが、今は購入苗がほとんどだそうです。能勢でつくられた苗木が減ってきていることを西田さんは危惧しています。

「接ぎ木の技術者が伝わらず、高齢化しとる。だから、茨城でつくった苗を買っとるわけやけども、銀寄発祥の地と言うからには、苗木も能勢でつくらんといかん、と、思うとるんや」。

「能勢の銀寄」と言うからには、苗木からつくるのが筋。今回、授業をした能勢っ子たちが高校生になったら、また接ぎ木の授業もしてやりたい、と西田さんは考えています。

今年の春に3cmほどの穂木を接ぎ木した苗木はすでに1mを越えている。こういう勢いのよい苗木は、園に植えても確実に根づく。

渋皮がポロっと剥ける新品種「ぽろたん」

歴史ある銀寄のほかにも、西田さんが注目している栗があります。それが、銀寄よりも早く9月中旬頃から収穫できる早生栗の「ぽろたん」。これまで能勢の早生栗といえば「丹沢(たんざわ)」や「筑波(つくば)」がメインでしたが、ぽろたんは2006年に作出された比較的新しい品種で、その名のとおり、鬼皮(硬い殻)の下にある渋皮(薄く茶色い皮)が「ぽろっ」と剥ける画期的な品種です。

鬼皮に切り込みを入れ、栗用フライパンで5分ほど炒るだけで、見事に渋皮ごととれました! 栗を調理するときにもっとも面倒な渋皮を剥く作業が省けるのなら、新しいお客さんも増えるはず。

「そう! 今のところ、ぽろたんは、能勢では『その他栗』でしかないんやけど、これを大々的に売りたいんよ。それが来年の目標やな」。東郷の直売所「けやきの里」などで、皮の剥き方をポップを掲げてアピール。その作戦が功を奏し、人気の品種になりつつあるそうです。

「能勢の発明王」に頼んで作ってもらったという栗用フライパン。ハンドルを回すと、中の栗が転がり、満遍なく火が通る。
焼きあがったぽろたん(左)。名前の通り、鬼皮とともに渋皮がぽろっと簡単に取れた(写真右)

夜が暗いのは寂しいことじゃないんや

70代半ばになっても、やりたいこと、伝えたいことだらけの西田さん。仕事に夢中になり、日が暮れるまで忙しく仕事をしているそうです。

じつは西田さん、小学校での授業ではこんなことを言っておられました。

「遅くまで仕事をするとおっちゃん、嬉しいことが1つあるねん。それはな、星が綺麗なんや。なんで星が綺麗かっていうと、暗いから。能勢には街の光がないからお星さんがよう見える。暗いから寂しいんとちゃうんねんな。」

働くために街へ出ていく人たちが多いこの能勢で、一生懸命仕事をすることの魅力。この土地で身を立てていくための栗の栽培技術はもちろんですが、能勢の魅力だって次世代に引き継ぎたい。そんな西田さんの思いが詰まったかのような言葉でした。

栗のことだけではなく、能勢で働く楽しさも真剣に伝えている(筆者撮影)。
おとな向けの授業が終わってホッとした表情の西田さん。

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