野間神社例大祭 270年続く能勢東郷の祭り 現在の例大祭が形づくられたのは、江戸時代の中頃(1751年~1763年)、能勢頼次氏より数えて7代目頼恭(よりゆき)氏の頃と伝えられています。琵琶湖の北東長浜の山車(だし)を参考に、野間神社に合うだんじり(地車)を各地区に一基ずつ計6基(地黄・野間中・野間稲地・野間出野・野間大原・野間西山)を造営させました。 だんじりが連結して舞台となる 各地区を出発して野間神社に宮入した6基のだんじりは、本殿に向かって整列します。その後連結して舞台となります。かつてはその上で子供が浄瑠璃芝居を演じました。現在は浄瑠璃芝居のかわりに、芸能人などを呼んでの奉納演芸が行われます。 地黄(宮本)地黄(宮本)6地区の特色が出るだんじり だんじりは社殿型と呼ばれる独特の形をしており、氏子は決められた役によった衣装を着て、伝統を守って行われます。鐘や太鼓のお囃子は各地区ごとに違うものになっています。 野間出野野間大原野間西山野間稲地野間中神輿が御陣屋(地黄城)に入っていくところ御陣屋(地黄城)に鎮座する神輿と地宮本のだんじり